羽黒山の境内

●蜂子皇子(はちこのおうじ)・・・・・推古元年(593)に崇峻天皇の第三皇子である蜂子皇子が、崇峻天皇を暗殺した蘇我馬子からの追撃を逃れて現在の鶴岡市由良にたどり着いた。 蜂子皇子は上陸した場所(八乙女浦;三瀬)にあった権現穴という洞窟に籠もり、しばらくの間、由良の地で修業を続けた。 蜂子皇子はこの後、海岸から三本足の烏(ヤタガラスか?)に導かれて、羽黒山に登り羽黒権現を感得し、出羽三山を開いたと言われている。 羽黒では、人々の面倒をよく見て、人々の多くの苦悩を取り除いた事から、能除仙(のうじょせん)や能除大師、能除太子(のうじょたいし)などと呼ばれる様になった。 現在に残されている肖像画では怪異な容貌に描かれたものが多いが、多くの人の悩みを聞いた結果そのような顔になったとも言われている。 出羽三山神社にある皇子の墓(東北地方で唯一の皇族の墓)は、現在も宮内庁によって管理されている。
●蜂子神社・・・・・ 出羽三山開祖蜂子皇子を祀る「蜂子神社」。 出羽三山信仰の礎を築かれた第32代崇峻天皇の御子蜂子皇子の御尊像は、江戸の初めまで五重塔に安置されていた。 比叡山の湖海院という高僧が五重塔を参拝された折、御尊像について尋ねられ九拝された。 開祖のことは宮中の記録にあり、独自の御殿がないのはいかがなものかといわれた。 徳川家康から秀忠に代ったのが1603年;そこで、元和5年(1619)宥俊別当は羽黒山頂に御堂(開山堂)を建立し、開祖の御尊像を移築安置された。 その後、明治始めに行われた神仏分離により羽黒山は神の山となり、「開山堂」は「蜂子神社」と改められた。


羽黒山(三神合祭殿)の境内案内図(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の鳥居(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の鳥居(2018/10/26)
出羽三山の開祖・蜂子皇子(はちこのおうじ)の墓・・・・・崇峻天皇の第三皇子(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の能除太子御挫石(のうじょたいしおまし)・・・・・出羽三山開祖蜂子皇子(能除太子)が登上の折、休息された場所とか、昇天のとき召された沓がこの場所にあったと伝えられる(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の厳島神社(2018/10/26)
羽黒山の(三神合祭殿)の厳島神社の説明版(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の蜂子社(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の蜂子社(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の蜂子社の説明版(2018/10/26)
羽黒山の(三神合祭殿)の向かって左の厳島神社と右の蜂子社((2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の鏡池玉垣建立の碑(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の説明版(2018/10/26)
羽黒山の(三神合祭殿)(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)(2018/10/26)
羽黒山の(三神合祭殿)(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の軒下の梁にある金剛力士像(その1)(2018/10/26)
羽黒山の(三神合祭殿)の軒下の梁にある金剛力士像(その2)(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の内部(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の鐘楼(2018/10/26)
羽黒山の(三神合祭殿)の鐘楼(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の東照社(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の東照社(2018/10/26)
羽黒山の(三神合祭殿)の東照社の説明版(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の神輿社の説明版(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の神輿社(2018/10/26)
羽黒山の(三神合祭殿)の建角身神社(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の天宥社(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の天宥社(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の天宥社(2018/10/26)
羽黒山の(三神合祭殿)の修験道の説明版(2018/10/26)
羽黒山(三神合祭殿)の出羽三山の信仰の説明版(2018/10/26)