東口本宮冨士浅間神社(須走浅間神社)(2)

●東口本宮冨士浅間神社(ひがしぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)(須走浅間神社)・・・・・静岡県駿東郡小山町須走126番地  全国にある浅間神社の一社。富士山須走口登山道の起点に鎮座する。 登記上の宗教法人名称は冨士浅間神社(ふじせんげんじんじゃ)で、須走浅間神社(すばしりせんげんじんじゃ)とも称される。 平安時代初頭・延暦21年(802年)、富士山東麓が噴火をしたため、須走に斎場を設け祭事を行い鎮火の祈願を行った。 それにより同年四月初申の日に噴火が収まったため、大同2年(807年)に鎮火祭の跡地に、報賽のため社殿を造営したと伝えられている。特に宝永大噴火によって須走村がほぼ全焼全壊し、農業が壊滅的な打撃を受けると御師などの富士登山関連に依拠する側面が強まり、 これを統制するために寛延2年(1749年)に浅間神社の神主と小田原藩の主導で既存御師12名と御師活動を行う有力百姓5名の計17名で御師株が結成され、 彼らのみが御師として神職待遇を受ける事が認められた。(出典: ウィキペディアより)
●富士講(ふじこう)、浅間講(せんげんこう)・・・・・(狭義)江戸時代に成立した民衆信仰のひとつで、特に江戸を中心とした関東で流行した、角行の系譜を汲むものをいう。 講社に留まらず、その宗教体系・宗教運動全般を指すことも多い。「富士講」と言うと通常はこちらを指している。 なお、狭義の「富士講」は江戸時代においては、吉田の御師による活動のみを指しており、 吉田以外の川口・須走・須山などの御師の活動や導者との師檀関係は「富士講」には含まれず、かつそちらの方が一般的な形態であったとする指摘もある。 (広義)富士山とその神霊への信仰を行うための講社全般。(出典: ウィキペディアより)
●富士講の活動・・・・・定期的に行われる「オガミ(拝み)」とよばれる行事と富士登山(富士詣)から成っている。 オガミにおいて、彼らは勤行教典「オツタエ(お伝え)」を読み、「オガミダンス(拝み箪笥)」とよばれる組み立て式の祭壇を用いて「オタキアゲ(お焚き上げ)」をする。 また信仰の拠りどころとして石や土を盛って富士山の神を祀った富士塚(自然の山を代用することもある)を築いた例もある
●御師(おし)・・・・・角行が説いた信仰の指導者であり、同時に、富士講の講員に富士登山時の宿泊所を提供する役目を荷っている人である。 閉山期には御師は江戸などの富士講をまわり、教えを説いた。夏になり富士の開山の時期となると、河口や吉田などにある御師の家に富士講の講員らが続々とやってくるので、 宿を提供し、登山道についての情報や登山に必要な食料や装備も提供するなど、様々な世話をした。

東口本宮冨士浅間神社の裏参道入口手前の鎌倉往還の説明版(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の裏参道入口手前の鎌倉往還の説明版(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の裏参道入口の根上りモミの木(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の裏参道入口の根上りモミの木の説明版(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の裏参道入口の東口本宮冨士浅間神社の由緒の説明版(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の参道入口の境内案内図(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の富士講の講碑群の説明版(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の富士講の講碑群(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の裏参道入口の鳥居(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の裏参道(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の富士講の講碑群(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の裏参道から本殿の前に着いたところ(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の富士講と講社碑の説明版(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の富士登山の記念碑(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の富士山火山弾の説明版(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社で大小たくさんの富士山火山弾がまとめて置いてあった(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の境内末社の説明版(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の境内末社の説明版(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の境内社の社護神社(かつては、日枝神社・山神社・琴平神社・霧島神社・高尾神社・社護神社という六社が 境内末社として境内に点在・御鎮座されていたが、現在は社護神社として合祀されているとの事)(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の境内社の恵比須大国社(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の境内社の恵比須・大黒の説明版(2020/9/20)
東口本宮冨士浅間神社の富士講の講社碑(2020/9/20)