高崎市の小祝神社

●小祝神社(おぼりじんじゃ)・・・・・所在地 群馬県高崎市石原町1247番地  群馬県高崎市石原町にある神社。式内社、上野国七宮で、旧社格は郷社。神紋は「三つ巴」。江戸時代の旧称は「小祝大明神」。
●祭神・・・・・少彦名命 (すくなひこなのみこと)
●創建・・・・・創建は不詳。付近には三島塚古墳(4世紀末から5世紀初頭の円墳)があるほか、境内から縄文時代前期の土器片が出土したことから、古くより当地に鎮座したものと推測される。 当社の奉斎氏族は明らかでない。『上野国神名帳』には群馬西郡に「息災寺小祝明神」の記載があるが、この「息災寺」は上野国府近くの引間妙見寺に比定される。このことから小祝神の奉斎氏族は国府官人になったと見られ、先の「息災寺小祝明神」は、国府近くに建立された息災寺に氏神として当社から勧請されたものと推測される。
●概史・・・・・創建は不詳。国史では、「小祝神」の神階が元慶4年(880年)に正五位下から正五位上勳十二等に昇叙された旨の記載が見える。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では上野国片岡郡に「小祝神社」と記載され、式内社に列している。なお、同帳では当時の読みとして「オハフリ」と振られている。『上野国神名帳』においては、総社本では鎮守十社の7番目に「正一位小祝大明神」と見えるほか、一宮本では鎮守十社の4番目、群書類従本では6番目にそれぞれ「従一位小祝大明神」と記されている。関連神名として、前述のように群馬西郡に「従三位息災寺小祝明神」の記載がある。 南北朝時代成立の『神道集』では、「上野国九箇所大明神事」に「七宮ハ沢宮、小視ト申ス、本地ハ文殊也」(小視は小祝の誤記か)とあることから、当社は上野国の七宮に列したとされる。 江戸時代には、正徳6年(1716年)の宗源宣旨で正一位を授けられている。また享保2年(1717年)には、現在の本殿が造営された。近世の別当寺は石昌寺であった(現在も隣接)。 明治5年(1872年)には近代社格制度において郷社に列し、明治42年(1909年)には神饌幣帛料供進社に定められた。(出典:フリー百科事典「ウィキペディア」のHPより)



 
高崎市の小祝神社の参道入口(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の鳥居とその奥の拝殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の鳥居とその奥の拝殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の拝殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の拝殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の説明版(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の標柱(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の拝殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の拝殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の石垣(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の拝殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の拝殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の拝殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の拝殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の拝殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の拝殿とその右の本殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の拝殿とその右の本殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の本殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の本殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の本殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の本殿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の説明版(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の説明版(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の甚句(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の寄進者名簿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の寄進者名簿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の寄進者名簿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の寄進者名簿(2015/2/6)
高崎市の小祝神社の石碑(2015/2/6)