深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」(なかんち)


●深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」・・・・・栄一が生まれた血洗島村には、渋沢姓を名乗る家が17軒あったことから、「東の家」「西の家」「中の家」「前の家」「新屋敷」などという呼び名があったのだという。 栄一の父・市郎右衛門は「東の家」の三男として生まれたが、「中の家」に養子に入ったらしい。 旧渋沢邸「中の家(なかんち)」主屋は、渋沢栄一生誕地に建ち、現存する主屋は、渋沢栄一の妹婿・渋沢市郎が明治28年に上棟した天窓のある典型的な養蚕農家。 奥の10畳の部屋は、渋沢栄一が帰郷した際、寝泊まりするために念入りに作らせたと伝えられています。栄一の妹夫妻によって明治28年上棟された建物です。 渋沢栄一が多忙な中で帰郷した際に滞在し、寝泊まりした場所です。 渋沢栄一は江戸時代後期の1840年(天保11年)この地で誕生。栄一の生家は、養蚕や藍玉づくりとその販売をしていた農家で、雑貨屋、質屋なども営んでいた。 栄一はここで渋沢家の長男として生まれ、栄一が中の家で過ごしたのは23歳まで。 生家は1892年(明治25年)に火災で焼失し、現存するのは家督を継いだ栄一の妹・てい夫婦が1895年(明治28年)に上棟した建物です。 渋沢家の住宅として使われていましたが、昭和60年より「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の学校施設として使用され多くの外国人留学生が学びました。 平成12年の同法人解散に伴い深谷市に帰属しました。
 


深谷市の渋沢栄一生誕の地案内板(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一生誕の地案内板(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の経歴の説明版(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の経歴の説明版(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」の案内板(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」の門(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」の門(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」の門(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」の門(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」の門(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」の主屋(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」の主屋と庭(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」の主屋(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」の主屋(切妻造りの2階建。養蚕農家特有の屋根の上に高窓が付いた立派な屋敷で2階は養蚕用としても利用されたそうです。1階奥には渋沢栄一専用の部屋が用意され、帰郷したときには、寝泊まりしていました)(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」の土蔵Uの説明(4つの大きな土蔵がある)(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」の土蔵(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」(2011/4/10)
深谷市の渋沢栄一の生家「中の家」(2011/4/10)