秩父札所33番菊水寺

●延命山菊水寺(えんめいさんきくすいじ)・・・・・住所 埼玉県秩父市下吉田1104 菊水寺は、僧の導きによって改心した盗賊たちが出家をする際、菊水と呼ばれる霊泉で身を清めたとされたことから、その名前がついたとされています。 境内に掲げられている観音霊験記の絵図には、鎌倉時代の武将・楠木正成が描かれています。 楠木正成がは、家紋が菊水(菊と波の模様)であることを縁に、この菊水寺で武運を祈ったと伝えられています。現在の菊水寺は、かつて「大桜山 長福寺」という名前のお寺でした。 もともと札所33番・菊水寺は、現在の場所から600mほど離れた場所にあり、その管理を行っていたのが長福寺でした。 しかし、戦国時代の永禄12年(1569年)、武田信玄の軍勢が秩父に侵攻した際、菊水寺は消失してしまいました。 その後、菊水寺は再建されず、巡礼者たちはいつしか長福寺を菊水寺と混同するようになり、長福寺も、菊水寺の火災から逃れた本尊を長福寺の本尊としてまつるようになったといいます。参道の入口には現在も「大桜山 長福寺」という標された石柱が建っています。(秩父札所連合会のHPより)
●本尊(聖観世音菩薩)
●本堂(観音堂)・・・・・入母屋造りの本堂/観音堂は、江戸時代の文政3年(1820年)に建築されたもの。正面には「正大悲閣」の額が掲げられ、これは本尊の聖観音がいる場所を表しています。 左右の菱格子のある花頭窓も印象的です。(秩父札所連合会のHPより)


 
菊水寺の入口(2024/7/7)
菊水寺の入口(2024/7/7)
菊水寺の参道入口(2024/7/7)
菊水寺の参道入口(2024/7/7)
菊水寺の本堂(観音堂)と手前の六地蔵尊・・・・・六地蔵尊は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の“六道“を行脚される地蔵菩薩です。 六道の世界を輪廻転生しながらさまよい続ける人々を救済し、極楽浄土へ導いてくださる菩薩様とされています。(2024/7/7)
菊水寺の境内(2024/7/7)
菊水寺の境内の文化財の案内板(2024/7/7)
菊水寺の境内の石仏(2024/7/7)
菊水寺の芭蕉句碑・・・・・江戸時代の寛保3年(1743年)に、松尾芭蕉の50回忌に建てられた芭蕉句碑。 “寒菊や 粉糠のかかる 臼の端”と書かれた字は、江戸時代に秩父札所の案内書「円通伝」を出版した円宗の筆によるもの。 句は、松尾芭蕉の晩年の傑作の一つとされ、臼と杵で米をつき終えて、寒菊にもうっすらと粉糠がついている様子をうたったもので、芭蕉案の冬の静かな一日が伝わってきます。 ちなみに、埼玉県内にある芭蕉句碑の中では最古のものとされています。(2024/7/7)
菊水寺の本堂(観音堂)(2024/7/7)
菊水寺の本堂(観音堂)(2024/7/7)
菊水寺の本堂(観音堂)(2024/7/7)
菊水寺の本堂(観音堂)(2024/7/7)
菊水寺の本堂(観音堂)(2024/7/7)
菊水寺の本堂(観音堂)の納額・・・・・本堂の左側に掲げられている観音霊験記の絵図には、菊水寺で武運を祈る楠木正成が描かれています。 鎌倉時代の武将・楠木正成は、家紋が菊水(菊と波の模様)であることを縁に、この菊水寺で武運を祈ったと伝えられています。 そして、戦の折、敵軍の矢が正成に命中しましたが、正成は倒れることなく難を逃れたといいます。 不思議に思った正成でしたが、見ると肌身離さず持っていた観音経に矢の根が刺さっていたそうです。(2024/7/7)
菊水寺の本堂(観音堂)の納額・・・・・納額には下に「秩父宮側 三千女」と書かれている。1988年から25年かけて描き、34札所すべてに秩父市宮側町の「浅賀ちょうちん店」の浅賀三千子さんが奉納した額との事です(2024/7/7)