富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社(1)
●富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社・・・・・景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、足柄の坂本(相模国)より酒折宮(甲斐国)へ向かう途中で当地「大塚丘」にお立ち寄りになられ、そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝され「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と仰せになりました。
よって大鳥居が建てられ、大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、当社の創建となりました。
天応元年(781)、富士山の噴火があり、甲斐国主の紀豊庭朝臣が卜占し、延暦7年(788)、大塚丘の北方に社殿を建立しました。
これが現在社殿のある地で、ここに浅間大神をおうつしし、大塚丘には日本武尊をお祀りしました。
初めて富士登山を行ったのは、大宝元年(701)の役小角という行者であるとされ、のちに富士講の開祖と仰がれる藤原角行師は、天正5年(1577)に登山しています。
●富士講の中でも大きな団体であった村上講の村上光清師は、藤原角行師の6世の弟子にあたり、享保18年から元文3年までの6年間(1733〜1738)で、境内社殿の大造営を行いました。
現存する社殿と境内構成のほとんどはこの時に定まり、廃仏毀釈により損失しつつも噴火の被害は受けずに、現在もなお当時のままの荘厳な趣を伝えています。
●社殿の造営・・・・・な社殿は、仁和3年(887)より、藤原当興、北条(左京太夫)義時、武田信玄、浅野(左衛門佐)氏重、鳥居(土佐守)成次、秋元(越中守)富朝、秋元(摂津守・但馬守)喬朝、らによって造営が重ねられました。
貞応2年(1233)北条義時造営ののち、永禄4年(1561)に武田信玄が再建した社殿が現存する中では最も古く、「東宮本殿」として現本殿の東側に、また、文禄3年(1594)浅野氏重殿造営の社殿は「西宮本殿」として現本殿の西側におうつしされています。
現在の本殿は、元和元年(1615)鳥居土佐守成次殿の創建で、いずれも国指定重要文化財です。(北口本宮冨士浅間神社のHPより)
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北口本宮冨士浅間神社の鳥居前(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の鳥居前(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の鳥居(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の鳥居からの参道(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の参道(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の参道(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の参道右の角行の立行岩(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の参道右の角行の立行岩の説明版(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の参道左の仁王門の礎石(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の参道左の仁王門の礎石の説明版(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の参道の途中から参道を振り返る(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の参道から随神門前の大鳥居を見る(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の参道の途中から参道を振り返る(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の参道の途中から参道を振り返る(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の随神門前の大鳥居前の北口本宮冨士浅間神社の説明版(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の随神門前の大鳥居前(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の随神門前の大鳥居前の富士山と北口本宮冨士浅間神社の説明版(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の随神門前の大鳥居(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の随神門前の大鳥居(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の随神門前の大鳥居(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の随神門前の大鳥居(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の随神門(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の随神門の説明版(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の随神門(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の随神門(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の随神門の向かって右の随神像(2020/9/17) |
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北口本宮冨士浅間神社の随神門の向かって左の随神像(2020/9/17) |
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