鋸山 日本寺(2)

●鋸山(のこぎりやま)・・・・・鋸山(のこぎりやま)は、千葉県安房郡鋸南町と富津市との境に位置する標高329.5メートルの山。日本寺、地獄のぞきなど観光地化されている。正式な名称は乾坤山(けんこんざん)という。乾坤は天地の意。
●乾坤山日本寺(けんこんざん にほんじ)・・・・・日本寺(にほんじ)は、千葉県安房郡鋸南町にある、曹洞宗の寺院。山号は乾坤山(けんこんざん)。本尊は、薬師瑠璃光如来。大仏(日本寺大仏)があることで知られる。寺伝によれば、聖武天皇の勅願により、行基によって神亀2年(725年)に開山されたとされる。
●境内にある五百羅漢像(千五百羅漢)・・・・・江戸時代後期にこの寺を復興した高雅愚伝(当寺第九世)が発願したもので、上総国望陀郡桜井村の石工・大野甚五郎英令が門弟27人と共に安永8年(1779年)より寛政10年(1798年)までの前後約21年の歳月をかけて彫ったものであり、約1,553体の石仏がある。明治に入り、神仏分離に伴う廃仏毀釈や1939年(昭和14年)の火災などにより、現在残る堂宇は仮本堂をはじめごくわずかとなっている。「千五百羅漢道」には「百躰観音」のように集合しているものから単独のものまで様々。
●日本寺大仏(にほんじだいぶつ)・・・・・元々の大仏は、1783年(天明3年)に大野甚五郎英令が門弟27名とともに岩を彫刻して建立したものだった。建立当時の高さは9丈2尺(約37.7m)。だが、岩を彫刻した大仏であったこともあって長年の雨風により侵食、江戸時代末期には著しい破損が発生して崩壊状態になっていた。そのため1966年(昭和41年)から仏師・八柳恭次を中心に修復が行なわれ、1969年(昭和44年)に完成した。この時、以前の崩壊箇所等がある関係から、像高は原型より約7m低い31.0mとなった。 (出典: フリー百科事典『ウィキペディアより)


 
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)

鋸山の日本寺の山道の二天門・・・岩をくりぬいて作り穴の両脇には二天像が置かれていて、右横には通天関の看板がある(2010/10/3)
鋸山の日本寺の山道の二天門・・・岩をくりぬいて作り穴の両脇には二天像が置かれていて、右横には通天関の看板がある(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の二天門の穴の右横の通天関の看板・・・巌陜く関を通るが如く柳面すれば天に登るに似たり(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群の百躰観音の看板・・・衆生被困厄(しゅじょうひこんやく) 無量苦逼身(むりょうくひつしん) 觀音妙智力(かんのんみょうちりき) 能救世間苦(のうくせけんく) 四国・坂東・秩父観音を合祀す(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群の中にある製作者の棟梁の大野甚五郎英令の墓(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群の途中にある宝篋印塔(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群の途中の日牌堂の看板・・・諸行は無情にして一切空なり 即ち是れ如来の大円覚(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群の途中の維魔窟の看板・・・不思議解脱の力 妙用恒沙、也(ま)た極まり無し(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群の途中に建てられた何とも言えない怖い本当の話の石碑・・・要旨は、明治四十一年東京の某中学校の夏季の遊泳の時に三年生のある者が記念の為と一体の五百羅漢像の菩薩の頭を持ち帰った。するとその家族が二年余り病魔に犯された。これは仏像の頭を持ってきたことが原因かと悩み、淺野さんに相談したところ、幸いに青山の松見坂にお地蔵様の頭が無いのがあるので、そこに安置したらよいのではないかとなり、急ぎ供養したところ、不思議にその後両家は栄えて、災い変じて福となすとなったのは言葉にできないほどです。その後、ある夜両家の人が菩薩が元の場所に帰りたいと訴える夢を見た。有志で相談して再び菩薩の頭をここに安置して奉りました。
明治四十五年三月 発願主 東京麹町区麹町四丁目 淺野忠七 中村右泉(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群の途中の聖徳太子像(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群の途中の聖徳太子像の看板・・・法中の王最も高勝 河沙の如来同じく共に証す(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群の途中の護摩窟の看板・・・弘法の護摩窟 千年香畑薫る(2010/10/3)
鋸山の日本寺の五百羅漢像(千五百羅漢)の石仏群(2010/10/3)