高崎市の八幡八幡宮の新田義重公の銅像

●高崎市の八幡八幡宮の新田義重公の銅像・・・・所在地 〒370-0884 群馬県高崎市八幡町655  高崎市の上野国一社八幡八幡宮に新田義貞、徳川家康らのルーツで、平安末期の上野国(現・群馬県)を拠点に活躍した武将、源義重の遺風を顕彰する「源義重公騎馬像」が設置され完成。題字は、タレントの中山秀征氏。令和6年(2024)年8月3日に完成記念式典が開かれた。寄進者で、甘楽町出身の里見治セガサミーホールディングス会長をはじめ、関係者約120人が騎馬像の建立を祝った。
●新田義重公とは・・・・「我こそは八幡太郎義家の嫡孫なり」。 源義重公は第五十六代晴和天皇の皇孫・源経基を祖とし、河内を拠点とする晴和源氏、源頼信(八幡八幡宮創建)、頼義、義家公の子、義国公の嫡男として、永久二年又は保元元年に生まれ、河内源氏重代の拠点である八幡荘を継承しました。父義国公と共に新田荘の立権に成功、新田荘司と称し、新田荘下司職、源義重と言われています。
義重公は八幡荘(高崎市寺尾)を拠点とし、八幡荘、東毛の新田荘他を開拓し子孫に分け与えました。平家打倒の以仁王の令旨に各地の源氏が蜂起した時、源頼朝公の誘いを「故陸奥守(源義康公)の嫡孫を以て自立を志ざし」これを拒み、寺尾で蜂起しました。 そして没年の建仁二年一月二十九日には北条政子が二代将軍頼家に対し、「源氏の遺老、武家の重鎮である義重公の死去から二十日も経たたずに蹴鞠に興じるのは人の謗りを受けるのでやめなさい」と叱責する記述があります。これは義重公が源家の長老であり、幕府内でも八幡太郎義家公に最も血統が近い者として一定の敬意を受けていたためと考えられております。
義重公の子、里見、山名、新田、世良田、得川等の一族からは新田義貞公・山名宗全公・茶聖千利休・安房の大名里見氏・江戸幕府を開いた徳川家康公などが登場し、鎌倉時代~江戸時代と日本の歴史や、文化等に多大なる影響を与えました。家康公は源氏長者を称し、義重公に鎮守府将軍を贈官しております。義重公の墓は高崎市の太白山永福寺にあります。  こうした群馬の歴史、日本の歴史に大きな影響を与えた義重公の遺風を顕彰し、また八幡地域の歴史的重要性を啓発するため、「源義重公騎馬像」が実現致しました。 。(出典:八幡歴史研究会の主催者のHPより)



 
新田義重公の銅像(2024/8/14)
新田義重公の銅像(2024/8/14)
新田義重公の銅像(2024/8/14)
新田義重公の銅像(2024/8/14)
新田義重公の銅像(2024/8/14)
新田義重公の銅像の説明版(2024/8/14)